支援プログラム内容
新しい形式で書いた記事がスマートフォンからしか閲覧できなかったので、あらためて掲載させていただきます。
「理解ということ」
講座で説明した内容について、利用者さんがマンガに作成してくださいました。 しかも自主的に!! 書かれている内容は、フロイトの精神分析的解釈を基にしたものです。気分変動などがある場合、ふとしたことで落ち込み強い自責感にとらわれてしまうことがあります。フロイトの解釈では超自我が自我を「弾劾」している状態と説明されます。 このマンガでは超自我を「しっかりさん」、自我を「あなた」と表現しています。 講座では、実はこの「しっかりさん」と「あなた」のバランスが身体の疲労によって崩れてしまうことが多いことを加えて説明しました。 健康なときは「理想自我」や道徳観念として私自身を導いてくれる「しっかりさん」が、疲労や生活リズムの乱れから「暴君」のように私を締め上げ責め立てる存在になってしまうことを、利用者さんはこのマンガのように「ふんわりと」柔らかく理解してくださったようです。 「理解するということは受動的な行為ではなく、手本を参考にして発明(創造)をする行為である」 私の師事した医師の言葉ですが、はからずも利用者さんが体現して私たちにその意味を示してくれた出来事となりました。
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理解ということ
新しい形式で書いた記事がスマートフォンからしか閲覧できなかったので、あらためて掲載させていただきます。
「理解ということ」
講座で説明した内容について、利用者さんがマンガに作成してくださいました。
しかも自主的に!!
書かれている内容は、フロイトの精神分析的解釈を基にしたものです。気分変動などがある場合、ふとしたことで落ち込み強い自責感にとらわれてしまうことがあります。フロイトの解釈では超自我が自我を「弾劾」している状態と説明されます。
このマンガでは超自我を「しっかりさん」、自我を「あなた」と表現しています。
講座では、実はこの「しっかりさん」と「あなた」のバランスが身体の疲労によって崩れてしまうことが多いことを加えて説明しました。
健康なときは「理想自我」や道徳観念として私自身を導いてくれる「しっかりさん」が、疲労や生活リズムの乱れから「暴君」のように私を締め上げ責め立てる存在になってしまうことを、利用者さんはこのマンガのように「ふんわりと」柔らかく理解してくださったようです。
「理解するということは受動的な行為ではなく、手本を参考にして発明(創造)をする行為である」
私の師事した医師の言葉ですが、はからずも利用者さんが体現して私たちにその意味を示してくれた出来事となりました。