Columnココロのコラム

臆病な犬を飼って思ったこと

2022.03.02

昔、私が先輩ナースからすすめられた本「精神科治療と看護のエッセンス」市橋秀夫 著

(1981年発行)というものがあります。ときどきページを開くと、どのページにも日常に生かせる「なるほどな」と思わせるワードが記されており、大切にしている本の一つです。

例えば、「よい子からの脱却」「押してダメなら引いてみよう」「待つことと追いこむこと」

「やさしさの持つ危険性、叱ることのむずかしさ」など。

最近気になった一節は、『人を寄せつけず、かたくなに自分の世界を守り、外界を遮断しようとする人がいる。ひねくれている人もいる。拒絶する人は外界の人物すべてを敵と思い、常に自分に対して悪意が向けられていると感じているかもしれない。拒絶することによっって、かろうじて自分の内部への侵入を防いでいるといえ、他者に対する攻撃的な感情が込められている』(原文ママ)という部分です。なんだかダークな表現すぎて、引いてしまうでしょうか?

最近犬を飼い始めました。それがまた驚くほどの臆病・ビビり犬で、慣れてもらうために

何日もペットショップに通い続けました。数十分抱きしめては「大丈夫だよ、大丈夫だよ」を繰り返していたのですが、死んでしまうのではないかと思うほどブルブル震えて、飼おうとしているこちらが、罪悪感を覚えるほどに「この世の終わり」を呈していました。

今ではすっかり我が家に馴染み、なくてはならない存在になっているのですが。

大きな不安や落ち込み、絶望的な気持ちに陥ったとき、周囲の声はなかなか心に届かない。

まるで高いお城に籠城して、窓の隙間から不信者かそうではないか、チラチラ見ては何者か見極めているようです。そんな時、遠くから「自分は不信者ではなーい」とアピールするしかないんでしょうね。時には声を大きくしたり小さくしたり「大丈夫だよ」と、声をかけ続けることが大事なのだと思います。

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