Columnココロのコラム

Winnicottと職場の安心感

2022.09.16

勉強のつもりでD.W.Winnicottの英字論文を翻訳してみようとネットで探していると「The Creative Space of Play: D.W. Winnicott」というサマリーを見つけました。著者は調べてもちょっと分からなかったのですが、Winnicottの遊びと創造性の関係性について簡潔にまとめられていて「いいな」と思って読み進めていると、最後にアメリカの詩人の詩が引用されていました。

「To love objects is to love life. The pure shaft of a single granary on the prairie, The small pool of rain in the plank of a railway siding…」 – Theodore Roethke

「対象を愛することは 生を愛すること 草原に立つ穀倉の美しい塔 鉄道の敷石のちいさな水たまり…」訳は適当ですが。。

「遊ぶこと」から創造性は生じてくる。それは「照らし返されることによってのみ」人格の一部となる。と、Winnicottは主張しています。それは「遊ぶことの中間領域」は、「私」と「あなた」が居て、初めて「その間」として存在し積み重なるという、考えてみれば当たり前だけどとても大切な真理を示しています。「照らし返してくれる」誰かが居て、初めて人は「ひとりになれる」、そしてこの詩も作者が創造的に作り上げたとして、読んだ人が何かを感じた時に、詩の本当の存在が生まれる。

社員研修で使われたりすることもある「ドラムサークル」でファシリテーターは「いいね」「大丈夫」が基本的で大切であることも、同じもののように私には思えます。

社員が職場で一番重要視することの中には「安心できること」「自分の居場所があること」が挙げられています。

基本的なことですが、些細なこと(人間関係や仕事のミス)で「不安」に変わってしまい易いのも人のココロです。

企業はもっと社員の「ココロの安全」を重視しても良いのではないでしょうか。

そして前述のサマリーにコメントした人の言葉と同じ思いを、私も強く抱くのです。

「It reminds me of why I love Winnicott’s thinking so much.」

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